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河内山本駅の売買物件
河内山本駅物件一覧
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- 河内山本駅
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- 下限なし~上限なし
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- 築年数
- 指定しない
- 駅徒歩
- 指定しない
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- 指定なし
- 設備条件
-
指定なし
- 河内山本駅情報
- 近鉄大阪線・近鉄信貴線の駅。準急・普通電車が停車します。
駅前はスーパー・コンビニが複数あり、北口・南口とも商店が多く建ち並んでいます。
個人開業の医院・歯科医院も多い地域です。
南側は分譲マンションが数棟建設されています。
住宅地として人気が高い地域です。
駅の東側には南北に玉串川があり、約4キロメートルほど続く桜並木は名所となっています。
河内山本周辺のおすすめ店舗
★とんかつrevolution ボリューム満点のトンカツが人気♪
★モンナポレオン 地元の人気店!ケーキやクルルが人気!
★パティスリーイグレックオガワ ケーキ店。焼き菓子も人気あります!
★オッキャーリオガ おしゃれなイタリアン・フレンチのお店。ランチもやっています
河内山本の歴史
江戸時代に大和川付け替えによって旧河川敷に広大な土地ができ、新田開発が始まりました。 明治維新以降は綿栽培を主体とした農業は廃れてしまい、大正時代末期の鉄道開通によって交通の利便性は高まりました。昭和時代初期に山本新田の土地所有者である住友財閥による宅地造成が進められ、通勤用の邸宅地として売り出されましたが、当時は鉄道のスピードも遅く、大阪市内までの通勤の便もいいとはいえなかったため、これらの邸宅は、近隣(現在の東大阪市、柏原市)や同市内の富農の新宅として購入される傾向がありました。
住友会所跡(八尾市観光データベースより)
この地は大和川付替後、宝永五年(1708年)玉串川河川敷に生まれた山本新田を経営管理した会所跡である。 享保八年(1723年)より住友氏が所有し、その後約二百二十年間を経て昭和十五年(1940年)に至り山本八幡宮更に八尾市に寄贈され現在に至った。この間明治六年(1873年)山本小学校の前身、河内第四一番小学もここに創設され、常に河内山本発展の原点であった。
山本新田について(八尾市観光データベースより)
大和川付替え後、宝永五年(1708年)に玉串川河川敷に帯状に開かれた山本新田のあつたところです。山本の地名の由来は、この新田開発を請け負った泉州箱作村の山中善兵衛とその子庄兵衛、および協力者の大阪平野の本山(加賀屋)弥衛門重英の名前の一字ずつをとって名付けられたといわれています。 その後享保十三年(1728年)に、この地は加賀屋から大阪長堀の泉屋吉衛門(住友)に移り、同氏は現在の近鉄大阪線の延伸とともに始められた住宅開発によって分譲されるまでの約200年間、この地を所有していました。
ここから東南約300m の距離にある市立労働会館は、この新田を経営管理した住友会所の置かれていたところで、同所には現在の山本小学校の前身である河内第四十一番小学も設けられていました。 市立労働会館の敷地内には記念碑も設置されています。
北側
山本八幡宮
八尾市役所山本出張所・八尾市立山本図書館・山本コミュニティーセンター
大阪府立山本高等学校
八尾市立上之島中学校
八尾市立山本小学校
大阪府立八尾支援学校
大阪シティ信用金庫山本支店(工事中)
聖光幼稚園
八尾たんぽぽ保育園本園・分園
南側
八尾山本郵便局
みずほ銀行山本支店
関西みらい銀行山本支店
三井住友銀行山本支店
三菱UFJ銀行ATMコーナー
南山本せせらぎこども園
五月橋保育所
八尾ソレイユ認定こども園
万代山本店
生鮮スーパーたこ一山本店
スーパーアオイ
ハーベス山本店
八尾市立総合体育館
★山本八幡宮★wikipediaより
享保元年(1716年)、山本新田の開発者である山中庄兵衛正永と、本山弥右衛門重英(加賀屋)の両人らが石清水八幡宮より神霊を勧請[1]し、山本新田の鎮守として分祀された。当初は「山本八幡神社」という名称だった。その後、享保13年 (1728) 正月に加賀屋から泉屋住友吉左衛門へ所有が変わった後には、住友家の尊崇と保護を受け近代まで至る。
昭和15年(1940年)に住友住宅による山本新田での宅地分譲が終了し、212年に渡る住友家の地主管理が終了する。その際に住友住宅より東南部分の土地を寄贈されている。同年に玉串川沿いにあった池を埋めたて、社務所が新築される。
昭和31年(1956年)に旧橿原神宮の古材を用いて社殿が改築され、恩智神社の社家である新海(にいみ)氏より専任の宮司を迎え入れている。この頃に旧山本新田住友会所の建物の移築もあり境内が整備され、「山本八幡宮」と改称し現在に至っている。本殿は社殿の中に収まっている。
1994年から1997年にかけて社殿を除いたすべての施設に大幅な改修が行われた。 社務所・集会所・神楽殿は撤去され、境内北西角に鉄筋4階建てのビルが建てられた。 さらに敷地東側・玉串川の間に歩道が整備された。正面にあった太鼓橋は撤去された。